阿佐ヶ谷の水の話 / 暗渠と打ち水

私が住んでいる”阿佐ヶ谷”という地名の由来は諸説あるようです。「浅い谷」というのがよく聞く話でございます。南北朝の頃には「あさかや」という一族が文献に登場するのだ、などと、商店街の重鎮からは何度も聞かされます。さすがにそろそろ覚えましたです。はい。
実際、阿佐ヶ谷は「微地形マニア」に言わせるとやっぱり谷ですし、荻窪から続く桃園川の遊歩道が駅の北側から中央線を斜めに横切っております。水が出るので駅前には釣り堀がありますし、「駅前の地下工事が行われる前は、雨が降ると駅前はいつも水浸しだった」「何度も店が流されたので、阿佐ヶ谷の店の内装は適当なんだ」という話を、先輩方からよく耳にいたします。

それゆえなのか、中央線の荻窪・高円寺あたりは、「暗渠マニア」が多い(※個人の感想です)ようでして、ドブ板を見るとワクワクしたり、狭い遊歩道や路地を見ると「ややっ?これはっっ!!!」と興奮する特殊な性癖・・いや、失礼、趣味の方に頻繁にお会いいたします。
不動産屋の私は公図(登記簿と対応させるための地図)で、赤道(あかみち・道路法上の道路じゃないけど人が通っている、または通っていた道。農道など、所有者がいないことがほとんど。)、青道(あおみち・かつて用水路や川筋。赤道と同様所有者がいないことが多く、いずれも現在ではとりあえず国の財産ということになっております。)を見ることも多いので、普通の住宅街にもそういう道が沢山あることはよく知っておりますが、普通はなかなか出会うことはないやもしれません。

「道」については、これまでも為政者によって、また国際情勢や国内のバランスによって様々な整備が行われて参りました。七道街道、鎌倉街道、五街道、その後の鉄道の時代を経て、戦後に列島大改造となるわけですが、くだんの「あかみち」「あおみち」の類は、そういうものの管轄外として、むしろ脈々と生活の場を繋いできた存在といえます。さらに、東京では江戸時代に整備された用水路も多く、関東大震災からの復興、戦災からの復興、高度成長、バブル期の開発などを経た結果、それらも含めて徐々に暗渠化し、古層化してきたというのが、阿佐ヶ谷を含む東京の「路地」や「水辺(水がある場合も、ない場合も)」の現状なのかと思います。ただ、それらを見るとむしろ、当時の人々の生活の有りようが脈々と見えることもあって非常に興味深く、「暗渠マニア」の方たちが多いのにも頷けるわけです。

さて、その「暗渠」や「水みち」「路地」の多い阿佐ヶ谷では毎年8月の初旬、旧暦の七夕の頃に「七夕祭り」というのがございまして、何十万人という人出があるようです。もともとは南口のパールセンターの商店主たちが、夏場にお客さんを呼んで楽しんでもらうために始めたもののようで、今年で64回目。数年前からは、パールセンターだけでなく、阿佐ヶ谷地区の商店街・商店会(全部あわせて実は8つもある)の共同開催ということになりまして、期間中は東西南北の商店会が、それぞれイベントや飾り付けなどを行っております。

わたしは、何の因果か阿佐ヶ谷北の松山通り交友会というところに出入りしておりまして、七夕祭りに合わせて、スイカ割り・ヨーヨー&スーパーボールすくいなどを手伝っておりました。
松山通りは駅の北口、イトーヨーカ堂のビルの中を抜けて、カナモノワタナベさんの前から北へ伸びる通りです。実は、この交友会の範囲には、東西に遊歩道(これらは川すじです。)が3本ほど通っておりまして、地形としては非常に阿佐ヶ谷っぽい地区。入口付近の豆腐屋(豊嶋屋さん)さんやこんにゃくや(都留食品加工)さんなどは、「いかにも水が出るところにありそうな業種」ですし(ただの想像)、現在は駐車場になっていますがファミリーマートの手前にあった「いこい碁会所」の前には井戸がありました。(これは事実。)

そんな松山通りなので、スイカ割りなどの後は盛大に打ち水です。井戸の水を使えるので、冷たいし、気兼ねもございません。
リアカーにバケツを乗せて、移動しながら打ち水していると、通りがかりの親子や、お店の子供達、沿道の家やお店の方も加わってまいります。道にジャアジャアと水を撒くというのは、子供達にとっては結構楽しいことのようです。普段ですと「もったいないからやめなさい!」と母ちゃんに怒られるところですので。

ひと通り打ち水した後は、通りを風が抜けていく感じがいたしまして、やはり、涼しいのです。もちろんバケツと柄杓で打ち水する程度では、すぐにまた乾いてしまうのではありますが、これはなかなか風情があります。シンチェリータの横にタムロしていたポケモンGOの人たちにも、こういう粋な遊びを知っていただきたいものです。

そういえば東京オリンピックまで3年を切りました。このクソ暑い東京の夏に開催するのは狂気の沙汰だと思いますが、これを機にヒートアイランド対策を加速してほしいものです。ゲリラ豪雨で街が水没するのもマズイので、雨水が一気に下水に流れ込む現状のインフラに対しては、保水力の高い舗装材や、雨水を一時的にプールする雨水タンクなどを少しでも増やしていくことが大切であります。この点、阿佐ヶ谷は実は、水と付き合いながら暮らしてきた「水の街」。一見すると寂れて周回遅れに見える松山通りが、その地理的な特徴とこれまでの知恵を生かしつつ、最先端に躍り出る日も近いように感じております。(盛ってます。)

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